<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>anyplace</title><link href="https://karenn.amebaownd.com"></link><subtitle>雪が静かに積もるように&#xA;&#xA;心に愛が積もります・・・&#xA;&#xA;音もたてずに過行く時間は&#xA;&#xA;重なり合って思い出になり&#xA;&#xA;いつか　どこかで　&#xA;&#xA;甦る・・・&#xA;&#xA;古い時計が刻む&#xA;&#xA;新しい時の中で</subtitle><id>https://karenn.amebaownd.com</id><author><name>かれん</name></author><updated>2016-12-12T15:55:39+00:00</updated><entry><title><![CDATA[発達障害という病気]]></title><link rel="alternate" href="https://karenn.amebaownd.com/posts/1771356/"></link><id>https://karenn.amebaownd.com/posts/1771356</id><summary><![CDATA[父親が子供のころにはこんな病気はなかっただろう・・・ちょっと変わっている子人より物分かりが遅い子おとなしい子注意散漫な子　etc....普通じゃないけど見た目には他と変わらない自分の興味があることや自分の欲求を満たすためには必死になれるのに自分以外の人にはまるで気が付かない１０月に大腸検査でポリープを切除した１週間後明らかに黄疸が出ているにもかかわらずテレビを見て笑っていた父昼ごはんを食べないのはおかしいと思い病院に連れて行った。なんとその時、熱は４０度を超え血圧も低下していたため即　大きな病院で検査を受けた。母の時からお世話になっている先生は紹介状を書いてくれるのも早くて助かる。そのまま入院になった父はその夜、昇圧剤の点滴を受ける。「血圧が６０まで落ちてしまっているので　　昇圧剤を使いますが、一気に血圧が上がる場合もあって　年齢を考えると、最悪の場合も覚悟してください」と担当医から夜の１０時ころ電話がくる。昼間ヘラヘラ笑いながらテレビを見ていた時にはすでに４０度の熱があったのだ。。。翌日、何事もなかったかのように看護師と会話している父を見て腹がたつ一晩中眠れなかった自分が悲しい結局６年前に胆のう摘出をしたのに、今度は胆管に石が詰まって胆汁が逆流したため臓器が炎症を起こした結果、内臓がショック状態になったらしいそれにしても胆石の時も今回も痛くなかったのか？？？元気を取り戻した父はそのまま内視鏡検査を受けた。そして・・・・(ﾉд-｡)４分の１ほど残っていた胃にがんが見つかる胆管炎と胃がんの初期胆管に応急処置でステントを入れて胆汁の流れを作り手術の予定を組むためにＣＴを取ることに。。なぜか呼吸器科に呼ばれると肺にも怪しげなできものが写っていると言われて肺気腫があるせいかと質問してみたが肺気腫もあるが全く別物が写っていると宣告ＰＥＴＣＴを取ることになった。ＰＥＴ検査当日「検査があるから何も食べないようにね」強く強く何度も念を押したのに「何も食べていませんね？」受付の質問に「はい」と父は答えたが「飴とかお菓子とかも食べていませんね？」の問に「アメ食べましたぁ」何を明るく答えてるんだよー食べるなって言ったのに父にとってはご飯は食べるものアメは舐めるものＰＥＴ検査では糖分は絶対取ってはだめなのにそんなことは気にもかけない結局あちこち光りまくって結果は散々１１月は毎週２，３日は病院に行く羽目になった一人では受付もできない父先生の話より後ろにいる看護師さんばかり気になって結局、先生は私に病状と現状を話す検査や通院にいくらかかるとかには全く興味は無く声をかけてくれる看護師さんや検査技師が嬉しくて病院に通う自分の病気も、食事ができれば関係ない私は毎日卵抜き油抜き消化の良い食べ物に頭を痛め90歳の伯母の面倒を見ながら父を叱る毎日、食べてはいけないものを繰り返し言わなければ隠れて食べてしまうから手術が決まらないと何もできない今日もＭＲＩ自分の置かれている環境が無性に疎ましい自分を励ますことにも飽きた発達障害は他人には気付かれにくいＰＥＴの画像を見て先生が言った「この年で脳に委縮がないなんてすごいなぁ」人に気を遣うことが全くないから脳も使用箇所がすくないだけよ・・母が生きているころあまりに優しくない父に「あんたには思いやりがないよ」と怒ったことがあったその時父は「思いやりってなんだ」と逆に母に質問していたっけ来週もまた病院だ私も自分を少しいたわってあげようよしよしヾ(・ω・｀)]]></summary><author><name>かれん</name></author><published>2016-12-12T15:55:39+00:00</published><updated>2016-12-12T15:55:39+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>父親が子供のころにはこんな病気はなかっただろう・・・</p><p>ちょっと変わっている子</p><p>人より物分かりが遅い子</p><p>おとなしい子</p><p>注意散漫な子　etc....</p><p>普通じゃないけど見た目には他と変わらない</p><p><br></p><p>自分の興味があることや</p><p>自分の欲求を満たすためには必死になれるのに</p><p>自分以外の人にはまるで気が付かない</p><p><br></p><p>１０月に大腸検査でポリープを切除した１週間後</p><p>明らかに黄疸が出ているにもかかわらず</p><p>テレビを見て笑っていた父</p><p>昼ごはんを食べないのはおかしいと思い</p><p>病院に連れて行った。</p><p><br></p><p>なんとその時、熱は４０度を超え</p><p>血圧も低下していたため</p><p class="">即　大きな病院で検査を受けた。</p><p class="">母の時からお世話になっている先生は</p><p class="">紹介状を書いてくれるのも早くて助かる。</p><p class="">そのまま入院になった父はその夜、昇圧剤の点滴を受ける。</p><p class="">「血圧が６０まで落ちてしまっているので　</p><p class="">　昇圧剤を使いますが、一気に血圧が上がる場合もあって</p><p class="">　年齢を考えると、最悪の場合も覚悟してください」</p><p class="">と担当医から夜の１０時ころ電話がくる。</p><p class="">昼間ヘラヘラ笑いながらテレビを見ていた時には</p><p class="">すでに４０度の熱があったのだ。。。</p><p class=""><br></p><p class="">翌日、何事もなかったかのように看護師と会話している父を見て</p><p class="">腹がたつ</p><p class="">一晩中眠れなかった自分が悲しい</p><p class=""><br></p><p class="">結局６年前に胆のう摘出をしたのに、今度は胆管に石が詰まって</p><p class="">胆汁が逆流したため臓器が炎症を起こした結果、内臓がショック状態</p><p class="">になったらしい</p><p class="">それにしても胆石の時も今回も痛くなかったのか？？？</p><p class="">元気を取り戻した父はそのまま内視鏡検査を受けた。</p><p class=""><br></p><p class="">そして・・・・(ﾉд-｡)</p><p class="">４分の１ほど残っていた胃にがんが見つかる</p><p class="">胆管炎と胃がんの初期</p><p class="">胆管に応急処置でステントを入れて胆汁の流れを作り</p><p class="">手術の予定を組むためにＣＴを取ることに。。</p><p class="">なぜか呼吸器科に呼ばれると</p><p class="">肺にも怪しげなできものが写っていると言われて</p><p class="">肺気腫があるせいかと質問してみたが</p><p class="">肺気腫もあるが全く別物が写っていると宣告</p><p class="">ＰＥＴＣＴを取ることになった。</p><p class=""><br></p><p class="">ＰＥＴ検査当日</p><p class="">「検査があるから何も食べないようにね」</p><p class="">強く強く何度も念を押したのに</p><p class="">「何も食べていませんね？」</p><p class="">受付の質問に</p><p class="">「はい」と父は答えたが</p><p class="">「飴とかお菓子とかも食べていませんね？」</p><p class="">の問に</p><p class="">「アメ食べましたぁ」</p><p class="">何を明るく答えてるんだよー</p><p class="">食べるなって言ったのに</p><p class="">父にとってはご飯は食べるもの</p><p class="">アメは舐めるもの</p><p class="">ＰＥＴ検査では糖分は絶対取ってはだめなのに</p><p class="">そんなことは気にもかけない</p><p class=""><br></p><p class="">結局あちこち光りまくって結果は散々</p><p class=""><br></p><p class="">１１月は毎週２，３日は病院に行く羽目になった</p><p class="">一人では受付もできない父</p><p class="">先生の話より後ろにいる看護師さんばかり気になって</p><p class="">結局、先生は私に病状と現状を話す</p><p class=""><br></p><p class="">検査や通院にいくらかかるとかには全く興味は無く</p><p class="">声をかけてくれる看護師さんや検査技師が嬉しくて</p><p class="">病院に通う</p><p class="">自分の病気も、食事ができれば関係ない</p><p class=""><br></p><p class="">私は毎日卵抜き油抜き消化の良い食べ物に頭を痛め</p><p class="">90歳の伯母の面倒を見ながら</p><p class="">父を叱る</p><p class="">毎日、食べてはいけないものを繰り返し言わなければ</p><p class="">隠れて食べてしまうから</p><p class="" data-placeholder=""><br></p><p class="" data-placeholder="">手術が決まらないと何もできない</p><p class="" data-placeholder="">今日もＭＲＩ</p><p class="" data-placeholder="">自分の置かれている環境が無性に疎ましい</p><p class="" data-placeholder="">自分を励ますことにも飽きた</p><p class="" data-placeholder=""><br></p><p class="" data-placeholder="">発達障害は他人には気付かれにくい</p><p class="" data-placeholder="">ＰＥＴの画像を見て先生が言った</p><p class="" data-placeholder="">「この年で脳に委縮がないなんてすごいなぁ」</p><p class="" data-placeholder=""><br></p><p class="" data-placeholder="">人に気を遣うことが全くないから</p><p class="" data-placeholder="">脳も使用箇所がすくないだけよ・・</p><p class="" data-placeholder=""><br></p><p class="" data-placeholder="">母が生きているころ</p><p class="" data-placeholder="">あまりに優しくない父に</p><p class="" data-placeholder="">「あんたには思いやりがないよ」</p><p class="" data-placeholder="">と怒ったことがあった</p><p class="" data-placeholder="">その時父は</p><p class="" data-placeholder="">「思いやりってなんだ」と</p><p class="" data-placeholder="">逆に母に質問していたっけ</p><p class="" data-placeholder=""><br></p><p class="" data-placeholder="">来週もまた病院だ</p><p class="" data-placeholder="">私も自分を少しいたわってあげよう</p><p class="" data-placeholder="">よしよしヾ(・ω・｀)</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[７０年という時間]]></title><link rel="alternate" href="https://karenn.amebaownd.com/posts/866142/"></link><id>https://karenn.amebaownd.com/posts/866142</id><summary><![CDATA[祖父母が子供のころを知らない。当たり前だけれど、私が覚えている祖父母はすでにおじいちゃん・おばあちゃんだったからだ。自分の子供のころでさえ遠い記憶になり、ゆっくり思い返す暇さえない毎日を過ごしているのだからそれも当然なのだが不思議な感覚になる。誰だってみんな子供だった。伊勢志摩サミットの開催で広島がクローズアップされている。オバマ大統領が広島を訪問したからだが、戦後７０年が過ぎ、現職大統領としては初めてのことだ。謝罪するのか否かがマスコミの焦点のようだけど、謝罪ってどんな発言であれば満足なのだろうか・・・戦争は国家ＶＳ国家一方的に攻撃したらそれは侵略戦争、テロ行為第二次世界大戦は世界中が戦った。大義名分はどの国にもあって、平和を求めた戦争だったというが戦争になったきっかけは何か？何故、長期に渡って戦ったのか？原爆投下は正しかったのか？ただ世界中で戦争に意義を感じていた人よりも、異議を心で叫んでいた人のほうがはるかに多かっただろうと想像できる。戦後処理で行われた東京裁判で、議長は戦争に至った経緯について日本が追い込まれ、「仕方がなかった状況」を述べている。原爆投下後に医療活動で来日したスイス人の医師は「こんな武器を作るなら、落とした後の治療法を見つけてからにしなければ・・」と、悲惨な状況に嘆いたという。アメリカ人は原爆のおかげで戦争終結が早まったと言うが当初、ドイツに投下予定だったが、降伏してしまったことで日本に目標が変わったという話もある。そして、原爆投下よりも前に日本は降伏を決めていたという。７０年という時間は、当時を知る人々の口をさらにさらに重く閉ざしていく。その人にとっての真実が、他の人に真実として受け入れられるとは限らず、一つしかないはずの真実は、人間の心を通過するとことで幾重にも枝分かれする。原爆投下が間違っていたと、今、認めたところで何が変わるのだろう原爆で亡くなった人の中には捕虜となっていた外国兵士もいた。善き人も悪しき人も、平凡な生活を生きていた人も、豪勢な暮らしの人も一瞬にして戦死者となった。戦争とはそういう悲劇でしかない。敗戦国になれば、全ての原因はお前たちにあると言わんばかりの扱いを受けることになる。原爆投下の謝罪を求めれば、韓国はさらに慰安婦問題の謝罪を声高に言ってくるだろう。戦時下で起きたことはどんなことであれ悲惨であり、被害者がいるということである。朴大統領が言ったように、１０００年後も覚えていなくてはいけない。ただ、いつまでも被害者の立場であってはいけないと思う。ベトナムで韓国軍や米軍がしたことは知らん顔では話にならない。オバマ大統領のスピーチは心に届くものだったと私は感じた。７０年という時間は人の寿命の終わりに近づくほどの長さであることを思えば次の世代に何を正しく伝えていくかということのほうが重要である。正しい言葉で、思いやりを含んだ言葉で、人として生きる戒めの言葉で・・・]]></summary><author><name>かれん</name></author><published>2016-05-28T16:23:37+00:00</published><updated>2016-05-28T16:23:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>祖父母が子供のころを知らない。</p><p>当たり前だけれど、私が覚えている祖父母は</p><p>すでにおじいちゃん・おばあちゃんだったからだ。</p><p>自分の子供のころでさえ遠い記憶になり、</p><p>ゆっくり思い返す暇さえない毎日を過ごしているのだから</p><p>それも当然なのだが不思議な感覚になる。</p><p>誰だってみんな子供だった。</p><p><br></p><p>伊勢志摩サミットの開催で広島がクローズアップされている。</p><p>オバマ大統領が広島を訪問したからだが、</p><p>戦後７０年が過ぎ、現職大統領としては初めてのことだ。</p><p>謝罪するのか否かがマスコミの焦点のようだけど、</p><p>謝罪ってどんな発言であれば満足なのだろうか・・・</p><p><br></p><p>戦争は国家ＶＳ国家</p><p>一方的に攻撃したらそれは侵略戦争、テロ行為</p><p>第二次世界大戦は世界中が戦った。</p><p>大義名分はどの国にもあって、平和を求めた戦争だったというが</p><p>戦争になったきっかけは何か？</p><p>何故、長期に渡って戦ったのか？</p><p>原爆投下は正しかったのか？</p><p><br></p><p>ただ世界中で</p><p>戦争に意義を感じていた人よりも、異議を心で叫んでいた人のほうが</p><p>はるかに多かっただろうと想像できる。</p><p><br></p><p>戦後処理で行われた東京裁判で、議長は戦争に至った経緯について</p><p>日本が追い込まれ、「仕方がなかった状況」を述べている。</p><p>原爆投下後に医療活動で来日したスイス人の医師は</p><p>「こんな武器を作るなら、落とした後の治療法を見つけてからにしなければ・・」</p><p>と、悲惨な状況に嘆いたという。</p><p>アメリカ人は原爆のおかげで戦争終結が早まったと言うが</p><p>当初、ドイツに投下予定だったが、降伏してしまったことで</p><p>日本に目標が変わったという話もある。</p><p>そして、原爆投下よりも前に日本は降伏を決めていたという。</p><p>７０年という時間は、当時を知る人々の口をさらにさらに重く閉ざしていく。</p><p>その人にとっての真実が、他の人に真実として受け入れられるとは限らず、</p><p>一つしかないはずの真実は、人間の心を通過するとことで幾重にも枝分かれする。</p><p><br></p><p>原爆投下が間違っていたと、今、認めたところで</p><p>何が変わるのだろう</p><p>原爆で亡くなった人の中には捕虜となっていた外国兵士もいた。</p><p>善き人も悪しき人も、平凡な生活を生きていた人も、豪勢な暮らしの人も</p><p>一瞬にして戦死者となった。</p><p>戦争とはそういう悲劇でしかない。</p><p>敗戦国になれば、全ての原因はお前たちにあると言わんばかりの扱いを受けることになる。</p><p><br></p><p>原爆投下の謝罪を求めれば、韓国はさらに慰安婦問題の謝罪を声高に言ってくるだろう。</p><p>戦時下で起きたことはどんなことであれ悲惨であり、被害者がいるということである。</p><p><br></p><p>朴大統領が言ったように、１０００年後も覚えていなくてはいけない。</p><p>ただ、いつまでも被害者の立場であってはいけないと思う。</p><p>ベトナムで韓国軍や米軍がしたことは知らん顔では話にならない。</p><p><br></p><p>オバマ大統領のスピーチは心に届くものだったと私は感じた。</p><p>７０年という時間は人の寿命の終わりに近づくほどの長さであることを思えば</p><p>次の世代に何を正しく伝えていくかということのほうが重要である。</p><p>正しい言葉で、思いやりを含んだ言葉で、人として生きる戒めの言葉で・・・</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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